野菜を食べよう・・・その6

しかし、レンズマメは、ローマ帝国の支配下にあったガリア(紀元前一二一年から五世紀まで)でも、ずっと基本的な野菜として食べられつづけました。

しかしながら、中世に入ると、不思議なことに、ソラマメやエンドウマメがよく食べられるようになって、レンズマメは凋落します。

そして、ソラマメとエンドウマメの消費量は、十五世紀まで伸びつづけました。

しかし、豆類は当時の商取引や負債の記録にはほとんど姿を見せません。

それは豆類が庶民の食する植物性食品であり、身分の高い人々の食卓では重んじられていなかったためにちがいありません(ほかの野菜はもっと軽んじられていたようです)。

豆類は新石器時代の遺跡のごみ捨て場からかならず発見されますが、歴史文書のなかには姿を見せないのです。

つまり重要な食品とは見なされていなかったわけです。

緑色野菜も豆類も長いあいだ下層の人々の食べるもので、肉を好んで食べていた上層の人々はほとんど食べようとはしました。

飲みものにも上下のちがいがありました。

支配階級はワインを飲み、平民は水、リンゴ酒、ビールを飲んでいました。


身分が高い人はやっぱり肉を食べていたんですね。
肉=ちょっと高級なのは、このころからなんでしょうか?

素人サッカーで勝つためには

素人同士のサッカーでは効率よくチームの戦術を練習するための方法がある。

たとえば、スモール・ゲーム(人数を少なくした試合)も、そのひとつである。

あるいは、ハーフマッチで、攻撃の組み立て(フォーメーション)の練習をすることもできる。

しかし、どんなにみごとなフォーメーションを練習で組み立てても、サッカーユニフォームを着て実戦で勝手の違う相手の妨害を受けたときに活用できなければ、"畳の上の水練"だ。

試合の経験によって実戦の感覚を学び、試合で気のついた弱点を練習で強化しなければならない。

そこで、練習計画の中には、必ず定期的に練習試合を織り込み、よそのチームと対戦して経験を積む機会を作るようにする。

野菜を食べよう・・・その5

豆類が人類の重要な食物となったのは、有史以前のことで、そのころはまだ穀物さえ食べられていなかったはずです。

レンズマメ、ヒヨコマメ、エソドウマメ、レンリソウ属の豆は、人間が食した最初の野菜であるだけでなく、語源的には"ほんとうの野菜"です。

フラソス語で野菜を意味するレギュム(legume)は、本来は豆の莢のことだったのです。

だから、莢果である豆類(レギュム・セックlegume secs=乾いた野菜)は、まさしく"ほんとうの野菜"なのです。

今日ファバセエ(fabaceae)またはレグミノセ(legumineuses)という学名で呼ばれる、大きな科であるマメ科は、フラソス語ではいまでもレギュミヌーズ(leguminosaae)と呼ばれています。

レギュムという言葉は、いまは野菜全般を意味するが、本来は豆類だけを意味した言葉なのです。

やはりマメ科で厳密な意味での野菜であるソラマメが食されるようになったのは、もっとあと、オオムギやコムギが食用にされるようになり、豆類が以前ほど食べられなくなったころのことです。

オオムギやコムギがフランスに広がったのは、いまから六千年前で、その後の遺跡からは豆類の種子が以前ほど発見されなくなります。


マメは昔から食べられていたのですね。なんだか意外です。

野菜を食べよう・・・その4

ひとつは発掘された遺跡であり、もうひとつは聡明な歴史家によって書かれた記録です。

しかし、そうした資料はわりあい豊富に存在するにもかかわらず、たくさんあるはずの果物や野菜に関する歴史的エピソードは、まったく残されていません。

それらのエピソードは、その痕跡さえ残さずに、歴史という飾の目を通り抜けていってしまったのです。

この点について語るジボーの言葉が、ショーヴェの『野菜の歴史』のなかに引用されています。

「栽培がはじめておこなわれたときから現在までに、どれほどの行程がへられたか、いまでは知るよしもありません。

その記憶は永遠に失われてしまった……。

野菜が各民族間をどういう道をたどってどのように伝わっていったのか、環境の変化によってどのように変身していったのか、自然選択や人間の知恵によってどのように改良されていったのか、そうしたことをすべて知りえたらと思うが、それはもうむりな相談というものです。

そのような栽培植物の完全な歴史がもし書けるとしたら、それは同時に文明の真の歴史ともなるだろう」こうした"歴史"はもはや知りえないのだから、目立っ事実をいくつかつないだ、ごく大ざっぱな物語だけで満足せざるをえません。

なかなか野菜の歴史を調べようと思っても、大変なのですね。。

野菜を食べよう・・・その3

それで人間は鍋(pot)を用いてきたわけだが、そこから野菜を意味するプラント・ポタジュール(plante potagere)という言葉も生まれたし、スープを意味するポタージュ(potage)という言葉も生まれました。

またフランス語では、いまはホウレンソウを意味するエピナール(epinard)という言葉は、昔は火を通せば食べられる葉菜いっぱんを意味する言葉だったので、アカザ科(フダンソウなど)、ヒユ科、ハマアカザ科などの草にも用いられました。

むろん、野菜は生でも食べられてきました。

そのなかには、樽に詰められ、醗酵させられて保存されるものもあります。

たとえば、さまざまな香草と赤ビートによる漬物や、スラヴ系の人々がはじめたキャベツを主体としたシュクルット(ザウアークラウト)などです。


野生の植物の栽培化、すなわち農業がはじまったのは、一万年から一万二千年前のことです。

農業はいくつかの地域で同時に生まれたということが、いまでは確かめられています。

農業は、われわれフランス人に直接関わってくる近東だけでなく、東南アジアや中央アメリカでも、ほぼ同じ時期にはじまっているのです。

歴史というものは、二つの資料をもとにして書かれます。

昔から、世界中で農業が行われていたのですね。

この街の灯

北海道ツアーで訪れた石狩川流域に明るくひらけている都市のうち、夕張と歌志内とは、石炭以外に産業らしい産業のない、いわば純粋な石炭の街です。


それだけに石炭産業の消長によって、この街の灯は明るくなったり、暗くなったりします。


私は戦争中勤労報国隊の名のもとに、ある炭坑の切羽で働いたことがあります。


この町も石炭の町で戦争申は夜も昼も煙々とし、炭塵がうずをまき、朝は暗いうちに坑内に繰込み、坑内から出てくるときは、もう山陰に陽がおちていました。

野菜を食べよう・・・その2

そういう意味で、近い将来の野菜や未来の野菜というものも考えてみる必要があります。

栽培方法を改善することによって、野菜の質を向上させねばならないということであります。

そのうちきっと、何世紀にもわたる注意深い選抜によって、与えられた外見を失うことなく、ビタミンなどの栄養素をいまの野菜よりもずっと多く含む野菜が、栽培されるようになるにちがいありません。

いたるところで、近代化の名のもとに、しばしば何千年にもわたって守られてきた伝統が切り捨てられてきたが、それは農業という領域でも同じであります。

しかし、将来かならずや伝統と新しい技術との幸せな結婚がなされ、外見、味という点でもいまの野菜にひけをとらぬばかりか、人間の健康の基本となる重要なバランスに欠かすことのできないビタミンなどの栄養素にも富む野菜が、つくられるようになるはずです。


野菜の歴史は、人類の食物の歴史と同じくらい古いそうです。

人間というのは、なんとも奇妙な動物で、雑食であるうえに、食物を焼いたり煮たりします。

雑食の動物は少ないし、火を使って食物を調理するのは人間だけです。


動物のなかでも、人間ぐらいなんですね、野菜を調理するのは・・・。

野菜を食べよう・・・その1

健康を気にして、野菜を食べるようにしています。。
気がつくとジャンクになってしまうので。

野菜が流行っています。

国立自然誌博物館のものをはじめ、野菜に関する重要な展覧会がいくつか開催されたばかりだし、野菜についての本も最近あいついで出版されました。

しかし、野菜は大昔から人間が食べてきたもので、それぞれの野菜には独自の歴史があります。

わたしはまず、そうした歴史を紹介してみようと思います。

野草が今日みられる野菜へと変化させられていく過程をたどり、集約栽培される現代の野菜がどのようにしてできあがったのか見てみたい。

また、野菜という人類の食料の基本となるものの過去、現在、未来を全体的に考、兄るとともに、個々の野菜のポートレートをも紹介してみようと思います。

肉体的な意味でのきつい仕事が少なくなり、生活様式も変わって、必要なカロリー量やエネルギー量が少なくなりつつある現在、食事を"軽くする"必要が生じており、野菜を重視するさまざまな食事法が工夫されるようになりました。

最近、野菜に関心がよせられているのも、こういう事情があるからにちがいありません。

しかし、野菜といってもいろいろあり、外見だけでは質を判断することはできありません。

事実、現代の野菜の質は、化学薬品や化学肥料を大量に使う集約農業の普及によって、低下していることが多いのです。

パトロンとオペラ その2

1816年4月、この時劇場を取り仕切っていた総監督のカール・ファイゲはカッセルのウィルヘルム1世に「2000ライヒスターラーの資金を無利子で前借り」を要請しています。

この時代のカッセルの人口はまだ3万人に満たず、そのなかで興行収益だけで運営していくのはまだ不可能なのが現状でした。

その点、都市文化が開花した、たとえばウィーンやパリ、ロンドンなどは経営の形態も異なる。

劇場が特権階級や貴族を対象とした本来の宮廷劇場からしだいに一般大衆を対象としたものに形を変えていくのは、時代の自然な趨勢でした。

パトロンとオペラ その1

有名なカリカチュアに1867年3月17日の「ミュンヘン・プンシュ」紙に掲載されたものがあるが、このカリカチュアにはワーグナーが内閣官房長の部屋をノックしている絵が描かれています。

これはパトロンが極端なまでに至った例です。

19世紀では一部の都市を除けばまだ、都市としての発達が未熟であり、また、人々がこうした娯楽にさく費用にも限度があり、ワーグナーとルートヴィヒ2世との関係に見られるように継続的な経営のためには宮廷なりのパトロンは必要でした。

しかし、王立や市立と名のつく劇場がすべてこうしたパトロンによって経営されていたということはない。

デュッセルドルフのインマーマンが経営し、一時メンデルスゾーンもそれに従事した劇場の場合でも「市立」と名のっているものの、これは市が劇団長である彼に賃貸契約を結んで劇場を貸与したというだけのことで、劇団や劇場経営を市が担当しているわけではありません。

また、クリストフ・ワイキューブによると、シュポーアも楽長をっとめたカッセルの宮廷劇場もむしろ経営にはそれほど積極的な財政援助は行なっておらず、慢性的な財政難に見舞われていたそうです。

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